進路を決めた鉱石ラジオ製作
小学校時代(1946年〜)
 小学校4年生の時に、疎開先の伊豆長岡小坂から、東京都大田区新井宿に転居、入新井第四小学校に転校。 理科の北村先生の指導で製作した鉱石ラジオ。イヤホンから聞こえたNHKラジオ放送に驚き・感激・達成感を味わう。続いて真空管「1T4」を使った電池式携帯ラジオを製作。雑誌「子供の科学」を愛読。

中学時代(1952年〜)
 「初歩のラジオ」の製作記事を参考にラジオ、アンプ、測定器等の製作に夢中。
キットを購入し「5球スーパーラジオ」を製作、親戚に買ってもらい小遣い稼ぎ。
 ジョージ・ガモフ著の「ふしぎな国のトムキンス」を愛読。

高校時代(1955年〜

 専用の受信機を自作し、1957年10月にソ連が打ち上げた世界初の人工衛星「スプートニク1号」の信号受信に成功。
 アマチュア無線の存在を知り、免許取得を目指す。

大学時代(1958年〜
 工学部電気工学科に入学。無線工学研究会(同好会)に入会。
1959年6月電話級アマチュア無線免許取得し、無線機、アンテナ、測定器等を自作し、1960年3月にアマチュア無線局JA1DXQを開局。

 1961年7月、ソニー株式会社で工場実習(VTR用ダイオード変調回路の検討)。
実習中に行われたソニー奨学金試験に合格。書類試験合格後に笠原常務の面接。(笠原常務は、戦後アマチュア無線の草分け的存在、アマチュア無線の話に花が咲く!)  就職内定!


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