トリニトロンカラーテレビ時代(1967年11月〜1987年5月:19年6ケ月)
私のトリニトロン物語  (PDF版はこちらをクリック)
 「何人かのトリニトロン物語」プロジェクトを推進している唐澤英安さんが、その一環として私へのインタビュー記事を纏められました。許可を頂きましたので掲載します。
逸話(補足) 
トリニトロンプロジェクトに参加して感じたこと(テレビセット開発期) 
 @プロジェクト関係者に浸透していたソニースピリット
 Aトリニトロンプロジェクトに対し、社内リソースの優先配置が行われたました
 Bセット部門の役割は明確でした
 C半導体が、的確な時期に厚木から提供・供給され商品開発の武器になりました
 Dトリニトロンカラーテレビ開発期は、会社トップ の存在を身近に感じました
 E組織、上司、仕事
 Fマネジメントスタイル
 G製番管理、ECN、PCN
 H人を育てろ 
 I機構設計CAD:TVグループはCATIAを提案、本社方針でCADAM導入!
 JPhilips社が、トリニトロンカラーテレビのオペレーションを研究? 

PERT の自己流解釈・活用(プロジェクト管理)
KV−1310出火事故、他
トリニトロンカラーテレビ米国発表とKV−1210Uの思い出
最初のトリニトロン大型テレビKV−1810Uの思い出
クレーム対応: トリニトロンブラウン管の期待寿命は正規分布でした!
安全規格担当の予感で救われたUL・X線規格事前対応
サイテーションについて
プロフィール誕生への歩み
FCCから、テレビ音声多重方式コンペに日本方式提案の要請を受ける 
テレビ文字多重放送(TELETEXT)、文字情報システムへの取組 
個別機種開発からラインアップ企画・設計、差別化モデルの企画・設計へ
歓送会で、前:若草会・会長から「鈴木さんの歓迎会ではない」と言われました!(ソニー電子) 
テレビセットのエージングルーム内発火事故への対応(ソニー電子) 
 
関連資料
 @1982年 SONY VIDEO FUTURE ’82 スピーチ原稿

   Agenda(PDF)
   CTV Strategy(PDF)
   Why Profeel(PDF)
 ASV−108グループ(KV-1310設計):20年目の集まり (PDF)
   最初のトリニトロンカラーテレビ設計グループメンバーが20年ぶりに集まりました。
   私は、直前に「ビデオ事業本部」に転出し、品質管理部担当となりました。
 B私の「メモ帳」から
  *「テープレコーダー」について
  *「トランジスタ ラジオ」について 
  *「トリニトロン カラーテレビ」について  
  *「井深大盛田昭夫大賀典雄」語録 
 Cソニー大崎アマチュア無線クラブ(JG1ZFK)資料
  *構成員名簿 (PDF)
  *理事 構成員変更届(写し) (PDF) (私が大崎工場からソニー電子に転出した時に提出)
  *防災無線体制 (PDF)
  *JG1ZFK QSLカード (PDF)
2017年3月3日 更新

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